上田学園ホーム

上田早苗×村上龍 

対談「子育てと自立」

 

2.

 

村上 前もちょっとこういう話をしましたね。結局、絶対確実なのは大人になったら、みんな嫌でも生活費を稼いでいかないといけない。それを自立って言うんですけど。だったら、嫌なことでこき使われてお金を得るよりも、自分が2日徹夜しても飽きないような充実感がある仕事をしてお金を得た方が楽しいわけです。
 そしたら別に年収2000万も貰わなくても、実質低いお給料でも、自分が興味が持てることであれば、楽しくやれるからいいんじゃないでしょうか。僕はその1点に尽きると思うんですよ。でもその1点を何で日本人が共有できないかというと、これまではそういう概念がなかったからです。いい会社に入れば全部OKだったから、そういう概念を持てなかったわけです。ほとんどの大人がそういった考え方をしてないから、みんないい会社に入ろうとする。
 だから「あなたは何になるの」って子供に聞くのは日本社会では幼稚園までなんですよ。小学校、中学校から「どこの大学に行くの」になって、大学になったら「どこの会社に入るの」になるんです。小学校であろうが、中学、高校であろうが、何になるのか、何で食っていくのかってことが本当は最優先、前提になるはずです。これは絶対正しいわけじゃなく、僕の考えですけど、そこが押さえられないときにどんな話合いをしても無駄ですよ。

 

上田   それはよくわかります。私は子供達と話していて、「何でこんな話が合わないんだろう」「何でこんなに話が通じないんだろう」って思うことがあります。まるで外国人と話しているみたいに噛み合わない。でもじゃあ噛み合わない、わからないからって妥協して飲み込んじゃって、それを意思表示しないと話が前に行かない。それじゃ、「わからないってことから話そう」ってことでスタートしたんです。日常接している学生と私とでも、コミュニケーションがとれないときがあるのは、きっと根本にお互いの共通言語が存在していないからでしょう。認識もそうですけど。そこが違うから、子供達と話が食い違うんだろうと。
例えば私はいろんな理想を掲げてきているけれど、子供は理想を理解する以前のところ、もっと原始的なところで、何かつっかえているように感じます。そこでコミュニケーションってことをもう一回考えようと提案したんです。というのも、何かを伝えようとしたときに、最低限必要なコミュニケーションの手段がなければ会話に発展しない、という思いがあって。生きる力を伝える前に、まずコミュニケーションの前提を考えないといけない。そう思って子供たちと話してみると、基礎学力が驚くほどないんですよ。極端なところ「9日」を「きゅうにち」とは知っていても「ここのか」という言葉は知らない。
このへんについて、いろんな若い方と取材で会われていると思いますが、コミュニケーションのギャップについて何か感じられたことはありますか。

 

村上 でもそれはしょうがない問題だと思いますけどね。僕が小さい頃はまだ親の家におばあちゃんもいっしょに住んでいて、大家族制の名残みたいなものがあったんですけど、学校と家以外にも、大家族制の名残だとか、あるいは子供達だけのグループがありまして、そこで違う学年の子ともいっしょに遊んでいましたから、そこで学ぶこともありました。だから何だかんだ言いながら学ぶ場所も機会も多かったと思いますよ。
今はそうした場所が少ないんでコミュニケーション能力だとか、常識とか、それから1種のモラルといいますか、2年年上の人にこんなこといったら殴られるだとか、そういうこと学ぶ機会ってのがなかなかないんです。だからそれは上田学園に来てる子が特別そうなんじゃなくて、逆に上田学園に来るような子はシャープだと思うんですよ。感覚が鈍感じゃないんですよ。だから結局今の学校システムに合わないわけだし、これじゃないと思ってるから不登校するわけです。
逆に学校には行かなくちゃいけない、行くもんだ、親には従うもんだとかいって何となく学校に行って、何となく親の言うとおり人生歩む人が一番恐い。そこがまだ一番多いんですけど。まだきっとマジョリティだと思うんですが。その集団が一番恐いです。彼らがいつか親や社会に騙されたと気付いたときに。無自覚に反抗している人がとりあえずはフリーターに吸い込まれたり、引きこもりとかに吸い込まれるわけで、だから何かそういう症状が出ている人の方がまだ対処しやすいんじゃないかと思うんですね。

 

上田 それはありますね。私など生徒たちと直接関っているから、いろいろ分かってくるのだと思います。今の教育で何かやらなきゃならないと思っていても、多分現場で子供達と接していないと何をやっていいのかすら分からないと思うんです。村上さんは本の中で、現場に立つ人だけじゃない周りの一般の人も教育に向かって参画していく必要もあると、おっしゃっていますけれど、そういう時に何からやっていいか分からない方ってたくさんいると思うんですよね。昔は隣のおじさんやおばさんが余計なお世話のように、「何をやってはいけない」「それはやっちゃいけない」と言ってくれることでたくさん学べたことがありました。しかし今はそういうのがありません。情報が入っているようだけど、情報を正確に理解する言葉っていうか知識がちゃんと育っていない。入ってくる情報を中途半端に吸収して、消化不良のようになっているところがあります。そういう中で子供達を育てていかなきゃならないときに、何がこれから必要だとお考えでしょうか。

 

村上 残念ながら、すべての子供にフィットする処方箋はないと思いますね。だから、上田先生がおやりになっているようなフリースクール、あるいは個別な非常にプライベートな学校であるとか、そういうところに行けない人たちに公立の普通の学校でカウンセラーを増やすとか、学級の人数を減らすなどを同時にすすめていかないといけないと思います。日本の子供という1つのマスを対象にした処方箋はない、と思います。それがあるとしたら全部嘘で、そういうことを言ってる人は「みんなが奉仕活動を」なんて言い出す。非常に危険なことなんじゃないかと思います。
日本の子供全体を対象にして考えるのは最初から間違っていますよね。というよりいつも言ってることですけど、まず大人の社会が気付いたり、考え方を変えていったりしないと、子供の心配してる場合じゃないんで。例えば3万人になってしまったという中高生の自殺をどう減らすかという問題と全部パラレルであり、同じ問題ですからね。大人の社会の中に当然変化すべきなのに変化に対応できていない人がいっぱいいる場合には、子供をどうこうするって問題ではないのではないでしょうか。

 

上田 自分の足元から、ということでしょうか。

 

村上 大人の社会がいい方向に変化していけば、それを当然子供は見ています。彼らは案外、逞しいですし。大人が混乱してどうしていいか分からないから、子供が混乱しているっていう状況だと思うんです。

 

上田 確かに今本当に夢を持って生きている大人っていないですものね。

 

村上 もちろん、いないことはないですけど。では昔はいたかっていうと、そうでもないですから。
ただ昔は会社に守られて生きるだとか、日本人一丸となってお金持ちになるとかね、社会的インフラを整えるとか大目標があったので、たとえばむかしはダムとかを作る人たちは英雄として映画になったりしています。『黒部の太陽』とか。それが今ダムを作る人は無駄遣いと言われてしまう。昔が夢があったんじゃなくて、今は誰にもリスペクトされなくなっちゃったんですよ。

 

上田 どうしてリスペクトされなくなったんでしょうか。

 

村上  昔はダムを作ることにそれなりの意味があったし、まあ道路作ったり橋を作ったりするのが、要するに国家建設というか社会のインフラの整備としての意味合いがありました。それが次第に景気対策のようになってしまって、やってることは同じだけど意味合いが違ってきちゃった。昭和30年代にダム作っているとかっこいいっていう共通認識はありましたが、今はもう自然と、お父さんダム作ってるって学校で言えない雰囲気が出てきた。環境問題になるし、特に長野県では言えない。そういう感じになってきています。だから、今の人が夢を失っているわけじゃなくて、昔はみんな金持ちになろうっていうもちベーションがあっただけだと思います。

 

上田 でもその共通のモチベーションはなくなりましたよね。

 

村上 ええ、そうです。

 

 

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