そいつはたまに褒めてやってもメールの返事すらよこさない傲慢なやつだ。
こっちは大人なんだからそうカリカリせずに大目に見てやろう。きっとそいつは褒められたことなどないのか、トラウマとかがあってよほど用心深いのか、ただ照れくさいだけなのか、いずれにしてもどこかで捻じ曲がっちまったに違いない。
そいつは最近、妙に力のある文章を書いている。現場で働いているので鍛えられているのだろうか。そうだ、自分が何をしたいのか、はっきりプレゼンできなければ、現場ではクソだ。現場ではゴマカシが効かない。
”力がある”というのは、単にガリガリ主張しているだけではない。読み手をひきつけるのだ。そのポイントは空中にあることをいじくりまわしているだけのからっぽの発想ではなく、自分の目の前の現実に真正面と格闘し、現実に鋭く切り込んでいるところにあると思う。
そいつの文章の気になるところもう一度を読み直してみたくなった。
”ツールを使うことがオリジナルを消してしまうのではないかと思うが、それは本当は逆で、ツールを使うとオリジナルがより出るのである。”
まことにまことに。これぞまさに現場で得た感覚だろうな。経験のないやつに限って、そんなツールを勉強することは自分の個性にあわないなどとほざく。
”人の記憶や心に残るというのは、優秀だとか良い学校に行っただとか血統だとか、地位だとかそういうことではないのだと思う。・・・困ったときに身近に一緒にいて助けてあげること。
そのシンプルな行為が、アルツハイマーの脳にさえ、強い電気信号を送り続けている。”
そのシンプルな表現が読者の脳に強い電気信号を送る。このあたりから、おやっ!と思い始めたよ。
”例えば僕の兄は、家族の愛情ではなく社会への信頼感ではなく自分探しでもなく、経済状況によって引きこもりから脱した。もちろん、家族の愛情などが脱出後の進路に大きな影響は与えているが、結局のところ、どれだけ愛情が深くても浅くても引きこもりそのものから決定的に脱することは出来なかったと思う。・・・食えない状況が目の前に迫ったら、引きこもってはいられなかった、というシンプルで残酷なことが起きたから、引きこもるのをやめたのだった。”
ここで脱皮したね!本気で語りだしたね!
それにこの内容は、22歳のときのシンプルで残酷な俺自身の経験からも納得できる。
”だがその金は、自分の子供が偽者になるための金である。また、自分の子の真実の姿を見ないですむための金でもある。どれだけ残酷な世の中になってしまったんだろう、と時々思う。・・・本当に子どもの将来を大事にしたいと思うなら、子どもの真実の姿を見て、徹底的に怒るべきだ。そして経済的な現実を見せ付けるべきだ。先生方はあまりこういうことは言わないけれど、お金を出すから先生に全部お任せしまうみたいな態度をとってないで、何年何十年と先に生きたものとして、ガツンと壁になれよなと思うよ。”
あ、言っちゃった!
でも、”金”・・・金ってなんだろうねえ。”富”の象徴であったはずの”金”が”疎外”の象徴になってしまうこの時代をどう読むか。それを読まないと哲学もクソもないと思う。
”ガツンと壁”になるためには人間としての自信が必要だ。ではなぜ大人たちは自信を失ってしまったのか。そのひとつは、科学技術の進歩に比較して、人間についての知識と情報があまりにも少ないことではないかと思う。それは”道徳”や”宗教”ではない。やはり人間に関する”科学技術”なんだと思う。(この件に関しては異論があると思うけれど、詳しくは別のところでね。)
”僕は絵本を書いてみて、クリエイティブというか表現の世界というのが空恐ろしくなった。
「白黒はっきりとうそを見破る子どもの目」と「全体と両極を見てバランスをとる大人の目」を両方持って、さらに持ち味を発揮しなくてはならない。1人の人間が分裂していなければ、こんなことはできっこない。”
その”恐ろしさ”を感じる感性がいいね。それにこの分析はまったく正しいと思うよ。まさに芸術の本質だ!自分が芸術大学の学長だったら、君を一本釣りさせてもらうよ。
”3度も経験すると分かってくるのだが、ルームシェアのコツは、すこしだけ相手のことを考えるということに尽きる。あまりにたくさん考えすぎると神経質になって逆にうるさいし、考えてないと相手の生活を壊すことになる。丁度良い具合というのが、たぶんどこかにある。・・・あまりにも自分が正しいと思っていることを前面に出すと結局のところ対立を生み、「共生状態」が崩れることになる、ということを僕は1度目のルームシェアで体験した。独善的な2人の人間の対立というのは泥沼そのもので恐ろしいが、正しいことをごり押ししないで少しだけ主張し、少しだけ間違っていることをあえて受け入れるということをすると何故か上手くいく。しかし、そのことを意識する余裕がないと、人は独善的な方向に行ってしまう。”
うむ、こりゃまさに自然権の対立をいかに平和裏に解決するかの妙技だ。国家間においてもそうだけれど、intoleranceは禁物だな!
”・・だんだんと虫の苦さが増していくようなことなんだろうなと漠然と思う。”
おいおい、人生そんなに悲観することたあないぜ。用心深いのも”少しだけ”にしておいてはどうかな。でもその表現は気に入ったね。
”そしてルームシェアの醍醐味というのは、結局のところその人のナマの姿というか、人間を間近に見ることが出来るということだろう。苦味があり、酸味があり、たまに甘味があり、辛さもある。”
いいこと書くね。オヤジは痺れたよ。
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若い時に傲慢なやつってえのはなかなか曲者で俺は好きだ。
どちらかというとお行儀のいい若者は苦手かもしれない。
そうだ、俺は傲慢な若者が本当に好きなのかもしれない。
しかし正直なところ、やられたな、と思った。 ★ミ
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