ことばの覚書帳
2004年12月24日
12月24日(金) 「《伝統》をつくるということ」
今年はいくつかの大学の学生と交流する機会が多かった。
その中で、「おや?」と思うことがたびたびあった。
それは外国語に対する「壁」だ。
大学には色々と問題があることは聞いていたが・・・
曲がりなりにも、「最高学府」と呼ばれるところである。
なのにもかかわらず、外国語に「壁」を感じている学生が多い。
そのように感じるのには理由がある。
上田学園の学生にはそのような「壁」を感じないからなのだ。
ひとりひとりに聞いてみたら「外国語は苦手だ」と言うかもしれないが、
他の大学の学生に感じられるような、
一種独特の「壁」的雰囲気がないのである。
何気に話していることの中にもそんなことを感じる。
手前味噌になるが、次から次へと様々な言語に体当たりさせる自分の授業が、
何某かの力を学生につけることができたのかもしれない。
一般的に考えると、かなり乱暴な授業だと自覚症状はある。
実際に、外国語との接触は多くの場合そんなに「やわ」ではないという現実があるわけで、
このようなある種「サバイバル」的外国語学習法が、
普通の学生にあるような「壁」を突き破っているのかもしれない。
そんなことを考えていると、「伝統」ということばが頭の中をよぎった。
そして、おぎちゃの顔が目に浮かんだ。
今年の6月に入学した彼は「わからない、わからない」といいながらも、
初めてのコリア語・イタリア語・ドイツ語に次から次へと喰いついてきた。
毎週毎週、宿題を真面目にやっているうちに目に見える力を身に付けている。
もはや先輩たちを乗り越えていくような勢いだ。
この授業は、講師の知らないうちに、
「異文化コミュニケーション」
なる名前が与えられている。
しかし実態から言えば、
「サバイバル外国語 未知の言語との格闘技」
というネーミングのほうがふさわしいかもしれない。
来年の8月には、主にイギリスに留学する高校生を対象にした、
”ビコーズの言える学生を育てる”夏期集中講義
が開講される予定である。
これに参加するであろう高校生はこうした「伝統」の上に乗ることができたら、
大学でも得られない力を身に付けることができるだろう。
この講座のテーマは、以前の授業でとりあげた、
「星の王子さま」(Le petit prince)
をとりあげるつもりである。
8回16時間の授業で、
原文のフランス語に加え、イタリア語・スペイン語・ドイツ語・英語・その他を
比較しながら読んでいくことになるだろう。
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ところで、上田学園の授業で中々とりあげることができないテーマが一つある。
それは「発音」だ。
日本語が「目で見る言語」
という性格があるからだろうか?
中学・高校の英語教育では、
「発音」に本格的に取り組むのは難しいことなのだろうか?
英語の発音記号を勉強したことがない学生が多いのにも驚かされる。
先日の忘年会でクリス先生と初めて突っ込んだ話をした。
「日本人に英語を教えていて問題と感じることは何ですか?」
「メンタリティーと発音、
とりわけ”リズム”に対する感覚が欠けている。」
「"the"とか"a"とかの冠詞は文法的な問題であると同時に、
文章の「リズム」をとるために必要なものです。」
この「音楽的感覚」と言える「リズム感覚」は
音楽を専門にするものにとっては必須のものである。
にもかかわらず、音楽を専門にする日本人にも怪しい人が多い。
奇しくも、外国語教育と音楽教育の問題点が一致してしまった。
上田学園の授業における次の課題は
この「芸術的感覚」の「壁」を突き破り、
新たな「伝統」を作ることかもしれない。
見上潤 미카미 준 Mikami Jun Миками Джюн