リニューアル
上田学園 授業の記録と予定
2003年春学期 (7)
〜 多言語学習の復習と 新たな課題 =音楽語の入門 〜
(全15回 4月15日〜7月29日)
2003年5月28日更新
お知らせ
今学期から授業内容の全面的公開という新たな試みを始めた。エクセルのほうのファイルには出欠まで公開している。
しかし、アリバイ的に書いていっても、読んで面白く有意義なものでなくてはあまり意味が無いのではないかと思いはじめた。
限られた人生、事務的な文書を作成するためにあるのではない。生活のどんな片隅も生き生きとさせる事が、講師にとっても、生徒にとっても重要なことなのではないか。
そこでこの「上田学園 授業の記録と予定」も変身することにしよう。おおよそ以下のような原則をもって書いていく事にする。
1) 「未知との遭遇 ことばの旅日記」のほうで、「ことば」についてだけではなく、これまでのように幅広い話題を展開していく。
2) 一方で、内容的にやや堅苦しい部分は「上田学園 授業の記録と予定」が受け持って、実際に授業では取り扱っていないテーマにも言及し、その内容の発展形にも目を配っていく。
3) 主として記録部分を具体的にリアリティーのある記述することに力を入れる事によって、その現実と向き合う所から、次への課題を導き出していく。
今後も必要に応じて内容に工夫を加えていくことにしよう。
★ 第6回 5月27日 授業の記録
今日は上田先生がいない。不思議なもので、今日の天気のように太陽が雲に隠れているような気持ちになる。生徒も同じ気持ちだろうか?
しちめんどくさい日本語の分析の残りは宿題にして、今日は朗読から始めよう。
1. 「星の王子さま」の最初の一文を朗読する。
1.1. ドイツ語
Als ich sechs Jahre alt war, sah ich einmal in einem Buch uber den Urwalt ,das
Erlebte Geschichten hiess ein prachtiges Bild.
1.2. イタリア語
Un tempo lontano, quando avevo sei anni , in un libro sulle foreste primordiali,
intitolato "Storie vissute della natura", vidi un magnifico disegno.
1.3. フランス語
Lorsque j'avais six ans j'ai vu, une fois, une magnifique image, dans un libre
sur la Foret Vierge qui s'appelait "Histoires Vecues"
1.4. スペイン語
CUANDO yo tenia seis anos vi una vez una lamina magnifica en un libro sobre
el Bosque Virgen que se llamaba " Historias Vividas "
1.5. 英語
Once when I was six years old I saw a magnificent picture in a book, called
True Stories from Nature ,about the primeval forest.
ここまででおよそ1時間。一つずつ単語を読んで、少しずつ長く読めるようにしていく。彼らは何語でも同じように読む。どれも遠い言語だから同じなのであろうか?まず音から入っていって、自然と身につく日を待とう。「読書百辺、意を通ず」だ。
ジャン・ジャック・ルソーは子供の頃、お父さんにおとなの読む本を片っ端から訳わからなくても読まされたそうだ。言語というものは不思議なもので、声に出して読んでいるうちになんだかわかってきたりする。自分の経験からもそれはあたっていると思う。
暗記・暗唱というと創造的でない勉強法のように感じられるが、実を言うとかなり有効な学習法だ。もちろんこれが身に付いたら、会話をしたり、文法を勉強したり、作文をしたり、と色んなことをしないと本格的には身に付いてはいかないが、逆に言うとこれが無ければそのような様々な勉強が有効にならない。つまりこれが最初の大切な基礎なのである。
本当は日本語の優れた文章も授業で取り上げたい。だがこれはとりあえず秋学期以降に取り上げることにしよう。この授業ではまずヨーロッパの言語に慣れることだ。
2. 上記の文章のカタカナ転写
母国語に一旦引き寄せる事によって、音声を身近なものにする。もちろんカタカナでは表記しきれない部分は当然ある。だが第一歩として「聞いたまま」の音を母国語の「回路」で聞くしかないのだ。これは特に答え合わせなどはしない。「聞こえたまま」の感覚が大切だ。
「チケット」よりも「てけつ」、「アメリカン」よりも「めりけん」の方が実際の発音に近い。明治時代の人のほうが、聞いたままの音を聞いて書いていた。どうもその後の歴史の中で「感じたまま」が排除され、「感覚不信」の風潮が広がったのではなかろうか?これは音楽のような芸術分野には重大な問題を引き起こす事になる。
「感じたまま」をそのまま一つの「現実」として認められない風潮が「フリースクール」なるものを必要とする国になってしまった原因ではないかと思うのは穿った考え方だろうか?
3. 上記の文章の原綴りによる暗記
さて、この授業が「超ハード」といわれる真骨頂!佳境に入るぞ!
ここからはこれまでの外国語の経験の差がでてしまう。これは現実なのだから、できるできないを気にすることは無い。自分のペースで確実に物にしていくのが良い。これをする目的は、「習うより慣れろ」で下地を作っていくことだ。あわてる事は無いが、単語を一つずつ丁寧に書いて覚えていく事が大切だ。
うーん、みんな姿勢が悪いなあ。
斜めに机に向かうな!!!
自分的には形から入るのは嫌悪するスタイルだが、ここまでひどいと何か手を打たなければならない!
机の向きも本当はまずいか?パソコンが邪魔だな。やっていることが酷いから体が曲がってしまうのか?他の先生からそういう指摘はこれまでなかったのだろうか?となんだか今日は急に姿勢が目に付く。おめーら、それじゃ仕事できねーぞ。と、オヤジ入ったことばを一旦そこでは喉に飲み込む。
見えてきた、ということは、それが今の課題である、という事かもしれない。というのも、去年の秋からほとんど全出席の体制ができて、今学期からは驚くべき事に、今の所自分の授業は無欠席である。やっと基本的な体制ができて、そして次という事なのだろう。
(この体制の形成に大きく貢献したT君は「☆の王子さま」の伝統をも作り上げた。こうして今、後進たちがこの伝統の上にたって懸命に、T君が卒業制作で果たしえなかった夢を実現しようとしている。)
ドルチェカント発声法ではやはり姿勢が大事で、姿勢によって声が全然違うのだ。イタリア語でimpostazione (インポスタツィオーネ)という。Impostare
基礎を築く、土台を置く、という動詞の名詞形だ。
結果は在籍年数にほぼ応じて、1言語から4言語まで暗記した。
次回は残っている言語も含めてどこまで確実に覚える事ができるかだ。
今日は個別指導をする時間が無かった。ファイル作成とリンクさせて、この「スパルタ式暗記・暗唱学習」を来週は完成させよう。
今日は数名、風邪をひいていた。一旦暖かくなってから、また涼しくなって体調を壊したのだろうか。体調を整えるのも仕事。社会生活では重要なポイント!こういうことも学校で教えていてくれたらよかったのに、と今、自分は思っている。
過去を振り返ってこうした事を掘り返してみる事も必要だ。彼らの年の頃に自分は何を知りたがっていたのだろうか?
2003年5月28日 見上潤