もじもじもじもじ

文字についてのいろんなことを書いていきたいと思います。

第一回 「ラテン語」

上田学園も後期が始まり、10月の始めにオリエンテーションがあり、授業に必要なものを色々と揃え始めている。そのうちのひとつに、見上先生の授業で使う(?)学校用のラテン語の辞書を買った。

見上先生と買出しに行ったとき、その「羅和辞典」と書かれたタイトルを見て、つい「こんなもんほんとに売れるのかョ」と言ってしまった。ラテン語なんて、僕にとってかなり遠い存在だったし、ラテン語って一体なんなんだよ?って感じだよね。

でもそれを聞き逃さなかった見上先生が「いや、みんな持ってるよ。」とクールにおっしゃる。僕がすんでいる世界とは全く違う世界があるのだなぁと更に遠く思っていたが、どうもその「ラテン語」、只者ではないということを知りつつある。

というのは、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語などヨーロッパ言語の本家大本が、どうやらこのラテン語らしいのである。その証拠に、僕が日本語の授業で教えているペルー人のベガさんは、この「羅和辞典」を読んで、”何となく分かる”らしいのだ。彼はスペイン語しかわからないはずなのに・・。

ヨーロッパの言語を理解したいのなら、大本のラテン語を押さえておくと、推測でもかなりの正確さが伴うらしい。というのはそれがベーシックになっていて、他の言語の基盤となっているからだ。だからスペイン語しか分からなくても、フランス語を何となく推測して理解できるらしい。

また、クラシック音楽の世界では、この「言語」をきちんと理解していないと、一体自分が何を歌っているのか?何を弾いているのかが分からなくなると言う。技術的には演奏できるけど、聞いていてなんか変だなっていう音楽は、演奏者の気持ちとか姿勢の問題もあるだろうけど、こういった「言語」の部分の理解が足りないのだ、と見上先生はおっしゃっていた。

柄谷行人さんの「戦前の思考」という本には次のような一節がある。

「 近代のネーションは、ヨーロッパの場合、ラテン語に対して俗語で書くこと、すなわち言文一致によって始まっています。それは各国によって時差があります。最も早いのは、ダンテでしょう。ダンテはイタリア語で書いたのではなく、彼の選んだ俗語で書かれた文章がイタリア語になったのです。同様に、ルターが訳した聖書の文章がドイツ語の規範となり、デカルトの書いた文章がフランス語の規範となりました。つまり、話されていた言葉が書かれたのではなく、むしろラテン語を俗語に翻訳することによってできあがった「文」が、その後に話されるようになったのです。」(柄谷行人「〈戦前〉の思考」文芸春秋)

この「言文一致」は日本が明治のに「書き言葉と話し言葉を同じにした」こと、つまり中国の「漢文・漢字的」なものから離れていったことと同じ出来事です。アジア圏の「漢字」に当てはまるものが、ラテン語だったということです。

このラテン語については、もっともっといろんなことがでてきそうなので、もう少し調べてみます。

10月7日 文責 立川修史