光をひきて谷にゆくかも

 

この季節としてはおどろくほどの強い横風を受けて、桜の花びらが中空を舞っていく。

今年はどういうわけか、満開の桜に圧倒されるような凄みを感じる。

去年の桜の季節は、不意に病を得た友人と語らいながら迎えた。手術の後腸閉塞を起こして食物を受け付けなくなった身体を、軽々と面会室まで運んでくる彼女は、どんどんと透明な明るさを増していくようであった。

感傷などを受け付けない強さを秘めた目で「あなたが居てくれてよかった。あなたをリソースとして考える。」という意味のことを彼女が私に宣言するように言ったのは医師に病名を告知された翌日。静かな諦観と、その裏から滲み出る悔しさ、だが何よりも、今を生き切る、という気迫と意志。彼女の言葉が意味している、ことの重大性にたじろぎつつも、寄せてくれた信頼の前にこの身を差し出すようなつもりで私が黙ってうなずいてから、彼女と私の新たな関係が始まったように思う。

ご家族に対しては、もっとドロドロとした戦いを見せていただろうか。甘えてわがままになっていただろうか。そうであって欲しいと思う。だが、私の前では、明るさを湛えた静かな目ですべてを見通したようにして、彼女に見える世界を鋭角な言葉で語っていた。彼女にとってすべての思惑や修飾はもはや意味を失い、魂の本質だけが問題であった。一日一日を生き抜き、自分にとってかけがえのないものだけを慈しみ、今を生き切る事によって、まわりの人たちの中に圧倒的な光をもたらした。そして体力の及ばない残りの一切を驚くべき潔さで峻別して捨て去った。

もちろん、身体の苦しみがなかったというわけではない。それはそれですさまじい戦いであった。ある治療法を自ら選択した彼女は、遠くの病院にひとり出向き、歩くのもおぼつかないほどの身体で、近くのビジネスホテルに泊まりながら病院に通っていた。電話口で彼女の痛みを案じる私に、「ひとりのほうがかえっていいのよ。痛いときは七転八倒しているわ。」と答えた。またある時は一瞬顔を歪めながら、「時々、自分の命にひっかかっている手を離したくなる。でも支えてくれている人のことを思うと、なんとか手を離さずにいられる。」と語った。「だいじょうぶよ。死ぬまでは生きているんだから。」と笑ったことも。まだ背の伸び盛りの娘が焼いた端正な薄い型抜きクッキー1枚を、「食べられないけれどお守り。」と言って、丁寧な包みを解いてそっと見せてくれたこともある。

  ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも (上田三四二)

人はみな、例外なく死に向かう。けれども陽光満ちた大気の中を舞いながら深い谷に散り落ちていくさくらの花びらのように、ひとはそれぞれに命の光を身にまとい、それを微かにきらめかせながら生を全うしていく。

 上田三四二 (うえだみよじ 1923−1989)  
京都大学医学部卒。結核を専門とする医師である傍ら、歌人、文芸評論家としても精力的に活躍した。自らも癌を患い、「生と死」を思索した痕を多くの歌に残している。歌集『涌井』に収められたこの歌も、手術を受けた後に吉野の桜を見ての作という。

 

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