ご利用ご返済は計画的に

 

知り合いが借金で首が回らなくなった。眼科医であったのだが、検査機器などを勧められるままにローンで買い、気づいたら借金がかさんで廃業に追い込まれていた。親戚中からも借りまくり、顔向けできなくなっていた。家を手放し、偽装離婚してから、10年が経った。

久しぶりに彼の妻に会い、莫大な借金返済の苦労に思いを巡らした。借金という言葉から、ふと、別のことを考えた。

たとえば14歳から、やることと居場所を探しあぐねて動けなくなっていたとする。1年が経ち、2年が経ち、3年が経ち、4年が経ち、5年が経つ、とする。たとえば18歳で世の中からセミリタイア―して、3年が経ち、5年が経ち、7年が経つとする。

家にいる時間、動くための方針が定まらずに苦しんでいる時間は、あるいは何かから避難している時間かもしれず、あるいは何かを問い続けている時間かもしれない。木が冬を越すようにして、外からは変化が見えないけれど、中では芽が準備されているかもしれない。ヒヤシンスのように、花芽がでる前に根が伸びているところかもしれない。意味のある時間であると思いたい。

けれど、同時にその時間は、自分に対して時間という借金を重ねている時間ではないかと、ふと思う。人とかかわり、その中で自然に自分の立つ位置やかかわり方を決めていく時間。基礎学力をつけ、基礎体力をつけ、基礎生活力をつける時間。そして、苦手な事や苦手な人の中でも溺れずにとにかく泳ぎ続ける精神体力をつける時間。そういうことを身に付ける時間を、借金のように借り入れてしまっているのではないかと。

借金結構。自分の人生。けれど、借りたものはいずれ返さなければならない。きっかけはどこから転がりこんでくるかわからない。学びたい事や、学びたい場が決まった時かもしれない。やってみたい仕事が見えてきた時かもしれない。本当に好きな人ができた時かもしれない。

ところがお金ではないから、宝くじが当たっても、この借金ばかりは一気に帳消しにはならない。親にたとえ財産があっても、こればかりは立て替えてもらうわけにもいかない。なぜならこの借金は、自分の身にぺったりと貼り付いていて、誰も肩代わりすることができないからだ。

その上、たとえ人から見えなくても、自分には見えてしまうのでやっかいなものでもある。

ひとつひとつ、自分の身をつかって、学び、身につけていかなければ返済できない若い時の時間という借金。5年ローンか、10年ローンか、もしかして30年ローン、なんていうものもあるかもしれない。それでも、気づいた時が返済のチャンス。

くだんの眼科医は、何千万という借金を返し終えた。土日もなく病院を掛け持ちでまわり、働き詰だったそうだ。宝石を買う一方の立場だった妻は、カバンに宝石を入れて売り歩く営業レディーになった。完済を告げる彼女の声は弾み、一瞬誇らしげな表情が顔を照らした。

意味のない時間というものはない。だがそれは、自分で意味を見出だすことができた時に、はじめて意味を持つ時間になるのだと思う。いま、マイナスに思えている、その同じことが、いずれプラスに思える日が来るかもしれない。借金の返済は、きっと楽しい。

 

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