風と光の通る家

 

最初は、古い家に建て増しされた、若夫婦の部屋だった。たった一部屋の空間であったが、若い二人にとってそこは、居間であり、食堂であり、書斎であり、子供部屋であり、ピアノの生徒さんの通ってくるレッスン室でもあった。昼間は、ピアノの生徒さんが親に付き添われてやってきて、暗譜ができていないと言って泣きべそをかいた。グランドピアノの下では、お供でやってきた下の子が、レゴを作って遊んでいた。子供とお友達が、ソファーの上をトランポリンのようにして跳ね回り、叱られたこともあった。

ついでその部屋は、老医師の診察室として使われた。あまり多くはない常連の患者さんは、どこか身体の不具合を訴えながら、その部屋にやってきた。おみやげに、おろしたての大根おろしを毎日持ってくる方もあれば、道で拾った面白い形の石を医者に見せようと持ってくる方もあった。ひとしきりしゃべると、すっかり元気になって、「じゃあ、先生もお元気で。」と帰っていった。

やがてその部屋は、主を失った未亡人の居室になった。カーペットだった床には、すぐ拭けるようにクッションフロアーを敷かなくてはならなくなった。ガス台は取り外され、かわりに火を使わない電磁調理器が置かれた。ベッドの傍らには、ポータブルトイレが必要だった。それでも、昔の患者さんや、宅急便屋さんは、彼女の淹れたミルクたっぷりのコーヒーを飲みに、よくこの部屋に立ち寄った。散歩の途中のネコも、寄っていった。

また年月が経って、この部屋は誰にもつかわれなくなっていた。本でいっぱいの段ボール箱が天井までうずたかく積まれ、閉まったままの雨戸を開けるのも容易ではなかった。部屋全体が、冷たく湿って、沈みきっているようであった。

永遠にそれが続くかと思われたある日、張りのある高く明るい声がこの部屋に響いた。「結構です。ぜひ、ここを拝借させてください。私はここを、風と光の通る空間にしたいんです!」

あっという間に、足の踏み場もないほどのリフォーム工事が始まった。床には、水にも傷にも強いという竹の材木が張られた。トイレの壁には和紙とタイルが張られ、見違えるような空間に生まれ変わった。壁はどんどん取り払われ、大きな一部屋が出現した。台所には中古の業務用シンクとお古の大型冷蔵庫。部屋の隅には、薪ストーブを置くための遮熱用タイル床が準備され、天井も煙突用にくりぬかれた。外のブロック塀は思い切りよく3段切り取られ、部屋の中には光が溢れるようになった。そして、最初はぼそぼそと、学生たちが通ってくるようになった。

やがて部屋の中には、彼らの作品が、ひとつ、またひとつと増えてきた。最初は、新聞を押し込むのが大変なくらいの、かわいい小さな郵便ポスト。やがて便利なパソコンの台が作られた。窓のシャッターには斬新なメッセージ。やがてデザインの美しい大きな机ができ、外には洗練された看板がつき、それにあわせてブロック塀が白く塗り直された。そして今、道の角に立てる新たな看板の構想が授業の中で練られているようだ。

部屋は生きている。本当にそう思う。あれから三年。冷たく、死んだようになっていた部屋はおかげさまで甦り、ひとりひとりの学生たちの格闘と焦りと喜びを見つめてきた。そして今年も、卒業と入学の時を迎えている。

 

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