ホリファイイング!

 

冬休みが終わってしばらくしての授業中。ある学生が、この冬、多い日には漢字ドリルを8時間も書きまくっていたと言った。「書いて、書いて、手で覚えた。初めて本気で勉強したような気がする。」そう語る彼の顔を、私はまじまじと見つめてしまった。

行きたい専門学校がある。だがそこへ行くには、面接のほかに国語と、生物と、小論文の試験がある。だから、冬休みは小学生ドリルに戻って漢字ばかりを書いていた。

彼はそう言うのだったが、私にはよくわからなかった。なぜなら、彼がこれまでにもふつうに文章を書いているのを知っているし、ここ数ヶ月くらいを考えても、5000字くらいのレポートを毎週毎週提出しているのをこの目で見ていたからだ。

「どうして・・・」といぶかしげに尋ねる私に、彼は丁寧に説明をしてくれた。
きっかけはひとりで生物の勉強をしていたときだったそうだ。教科書を読んで、内容をノートにとりながら勉強をしようと思ったら、実は漢字の形がよくわからないということに気づいた。そこで漢字を書き写そうと思ったら、今度は漢字の一点一角に集中してしまい、肝心の生物の専門用語やテキストの意味内容に意識が回らなくなった。文字を書いているが、意味がわからなくなっていた。これではいかん、と思ったのだそうだ。

だから、生物の勉強よりも何よりも、とにかく先に漢字だ、と。

彼は言った。自分はパソコンを使っている限り、日常生活、別に困る事はない。漢字に迷っても、選択するだけなら間違えずに選択することもできる。本も読めるし、文章を書くこともできる。けれども漢字が書けない。漢字の形がそもそもわかっていなかったのだ、と。

小学校一年から三年くらいの漢字は普段から使っているのでどうということはなかったが、さすがに高学年の漢字はかなりてこずった。だが、基本がわかってくると、漢字はそれらの組み合わせだということがだんだんと理解できてきて、新たな漢字が楽に頭に入るようになってきた、と言う。

生物ばかりではない。文字制限のある小論文の試験。平仮名が多いと字数ばかりが増え、ただですら少ない字数の所に自分の言いたいことを盛り込む余裕がなくなってしまう。そういう意味でも漢字は大切だと思った。漢字にはそれぞれ意味があるから、言いたいことを一発で表す事ができる。

ざっと、こんな話だった。私は、日本人である自分というものを改めて考えてしまった。それよりも何よりも、漢字を書き続けて正月を過ごしたという25歳の彼の姿が、脳裏に焼きついて離れなくなってしまった。

「冬休みはどう過ごしていたの?」という質問で、この会話の口火を切ったイギリス人の先生も、心底びっくりしたようだった。「日本人というものは、みんな漢字が書けるんだと思っていたよ。」と最初は冗談めかして言っていたが、そのうちに、その学生が初めて本気で勉強した、ということを必死で英単語を探しながら話すのを聞いていて、慈しむような、いとおしむような、それだけでなく少し脱帽したような、ちょっと泣き出しそうな表情で彼のことをみながら、「ホリファイイング!(恐しや)」とつぶやいていた。

あれから2ヶ月が過ぎた。専門学校の試験は終わった。結果は、・・・不合格だった。

けれど、自分の歩み方を自分で決め、自分なりの勉強をする彼を、もはや誰も止めることはできない。

 

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