人は人の腕の中で死ぬ

 

知り合いが、鹿児島県のある離島で、理学療法士の助手として働いてきた。以下は、彼女から聞いたばかりのおはなし。

人口6,000人ほどのその島には、入院設備のある病院はひとつだけ、そしてあとは三つの診療所がある。内科の医者はいるが眼科や小児科、産婦人科の医者は不定期に巡回してくるのみのため、急な病気に対応できず、海が荒れれば船も出せず、空模様が悪ければヘリコプターも飛べない。今この時代でも、都会であれば必ず助かるような病気が手遅れになって亡くなるケースもあるという。難病の子供を抱えた家族などは、やむなく一家で島を離れることもあるそうだ。

さて、そんな島に立派な老人保健施設ができ、東京の大学病院から医者も赴任し、彼女たち、リハビリのためのスタッフもそろって、施設に収容すべきお年寄りを待ち受けていた。ところが、誰もこない。たまに来ても、わざと地元の言葉を強い訛で話し、東京から来た人たちに通じないように話をする。

彼女は待って、待って、待ったが、そのうちに落ち込んできた。自分はここの人たちを助けたいと思って志願して、僻地医療に取り組むべく、意気込みを持ってやってきた。確かに空は青く、海は美しい。けれども人々と自分の間には越えられないほどの溝があり、どうしたらよいかわからない。

そんなある日、こない患者さんをきれいな新築の施設の中で待つのに疲れた彼女は休みをとって海にむかい、たまたま漁に出るところだった小船に無理やり乗せてもらった。海は穏やかで、何時間も波に揺られていると、太陽の動くのが感じられた。

夕暮れが近づいた頃、その漁船のおじさんが彼女に言った。「あんたらは間違っとるよ。」
「東京の人は人は病院で死ぬと思っているのかもしれないが、ここでは人は病院などでは死なない。死にそうになったら家に連れて帰るんじゃ。」「そうですか。すばらしいですね。では、畳の上で死ぬことができるんですね。そういうのに私憧れます。」と彼女は話を合わせるべく、こう言った。するとおじさんは、こう続けた。「畳の上でも死なない。ここでは、人は、人の腕の中で死ぬんじゃ。」

そして、古くからの埋葬の習慣を話して聞かせてくれたそうだ。つまり、その島では古来人が死ぬと、家族はその遺体を海岸近くの地面に穴を掘って土葬にする。そして一年だか三年だかが経つと、その骨を皆で掘り起こし、海の水できれいに洗って、それからお墓に収めるのだという。

その話を聞いたその日から、彼女の中で何かが変わった。すると不思議なことに、島の人たちが彼女を受け入れ、話しかけ、かわいがってくれるようになった。そして彼女が任期を終えて島を離れる日、「立派になって戻っておいで。」と言ってくれた。

 

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