プラウド & ジョイ

 

 

英語の授業では、毎週宿題が出る。半年ほど前から、初級クラスの宿題は聞き取りの練習となった。講師がインターネットでダウンロードした映画の冒頭部分であったり、アメリカ大統領の有名なスピーチであったり、CDから歌を聞き取れ、と言われることもある。

さて、今週の課題はハリーポッター第5巻・不死鳥の騎士団の冒頭部分の朗読を聞いて、ただただそれを書き取ってくるように、というものだった。「どこまでですか」という質問に、「できるところまで」という返事を聞き、「ギョエー」といっていた学生たち。

数日前の夜、明かりのついた窓にひかれるようにして私は上田学園の玄関を開けた。がらんとした部屋の中では、一人の学生がパソコンに向かい、この朗読を聴いていた。私も横に座って耳を澄ませる。速い。きれいなブリティッシュイングリッシュの男の人の声なのだが、英語のスピードが速くて、ちょっとやそっとでは話が聴き取れない。彼はひたすら聴いている。しばらく進むと、また最初から聴く。また。そしてまた。同じ箇所を、10回、50回、もしかすると100回くらい聴いているかもしれない。意味は、おそらくわかっていない。ただ、必死に耳を澄ませている。そして、ノートに、カタカナ交じりの英語で聞こえた単語をぽつぽつと書き取っていく。30分くらい居て、私は音を上げて部屋を出た。

20代の彼が体力と知力の限りを尽くして宿題をやっている、と思った。きっと、彼にそんなことを言っても、「いやあ、気になるから。」というような返事が返ってくるのがおちだろうが。

さて今日が、その答え合せの日だった。先生はまず彼に聞き取れたところを読ませる。確かに穴だらけで、単語も違っているところがたくさんあるのだが、リズムと音の雰囲気はそのまま書き取られていた。それを聞くイギリス人の先生の表情が、だんだんと変わっていく。いとおしむような、誇らしげなような、優しいほほえみが目の奥に浮かんでくる。

結局原文にして2段落と少しを読み終えたところで、文章の途中で不意にたね切れとなった。「ここまでです。」と彼は言った。先生は、手放しで彼をほめた。聴き取った量や完成度に対してというよりも、かけたエネルギーと努力に対して。

「どのくらいかかった?」「うーん、そんなにかけてないです。2時間くらいかな。」「そうか、そのスピードで行けば、この本一冊書き取るのには24時間やりっぱなしで4ヵ月半だな。じゃあ諸君、がんばれ。」学生たちは目を白黒していたが、先生の目は笑っていた。その目を現す言葉がどこかにあるようで、私は必死で記憶の中を探した。そして、思い当たった。“proud and joy” 誇りと喜び、という言葉だった。

この時間の後半は、わからない単語をひとつひとつ解説し、文章の意味をとり、その単語を使って他の例文を考えるような授業となった。辞書を使わず、英語で英語を説明していく。わからないところは図を書いて説明される。例文は学生たちの日常に添ったものが選ばれる。「うばわれる」という単語の解説は、「君はこの前、お父さんにプレイステーション2を奪われた、と言っていたじゃないか。」という具合。

最後にもう一度、今度はテキストを見ながら皆で録音を聞いた。初めにはわからなかった意味が、みんなの頭の中に染み透っていき、ハリーポッターの行動が目の前に立ち上がって見える。もはや英語は、外国語ではなく、知ったことを書いてあるただの言葉になる。

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