細胞の種類が変わりそう

 

 

上田学園では、週一回水曜日に、その日いるメンバーから\300〜\400ずつ集金して買出しに行き、お昼にご飯を作っている。それを、ひとつのテーブルを囲みながら、みんなで一緒に食べる。

午前中は経営コンサルタントの先生が情報の集め方と発信の仕方に関する授業をしてくださっているのだが、そこにだんだんと料理の煮えるにおいが届く・・・。授業終了と同時に背の高い学生が上の棚から人数分の食器を出してくれる。

例えば今日のメニューは、ツナとコーンの入った炊き込みご飯、豆腐のあんかけ汁、豚の焼肉とサラダ、漬物。ある時はトマト風味のブイヤベース、その前の週はメキシコ風豆とひき肉の煮込み、といった具合。食べ盛りの学生7人くらいと先生方の分をあわせて大鍋いっぱい作るのだが、いただきます、の声を合図に面白いほどどんどんと大皿の中が減っていく。アッと気づくと最後のご飯粒がお釜からすくいとられ、最後の肉のひとかけらが誰かの口に入っていく。毎週壮観で、爽快な体験が待っている。

ちょうどブイヤベースの日のこと、授業をサボってばかりいる17歳の男の子が珍しくやってきたのだが、授業には参加せず、パソコンでゲームをしていた。やらなければならない作業で手一杯だった私は、すかさずその彼をつかまえて野菜を切ってもらったり、お米をといでもらったり。

やわらかいイカの軟骨がすっと抜けるのにもおどろいたり、鱈の小骨がスープの中にまぎれ込んでしまうのを心配したりする彼につられて、私も普段より料理に引き込まれる。だが、何といってもやり応えがあったのはトマトの湯剥きだった。「これ剥いてくれる?」と何気なくトマトと包丁を渡したが、ふと横を見ると「トマトって指でむけないんすか、」と彼は素手で悪戦苦闘している。そこで、思い立って煮えているスープの真ん中に、菜箸に突き刺したトマトをしばらく沈めてみる。実家の母には見せられない乱暴な料理だと思ったが、魔法のようにつるりと皮がむけ、即席の湯剥きトマトの完成。彼はやおら着ていた長袖を脱ぎ、ジャラジャラと首に下げていたアクセサリーを私にタンクトップの中に入れてくれと頼み、鍋から立ち昇る湯気の中で生き生きと残りのトマトをむいていった。最後に味見を頼むと、「うーん、なんか足りねえ。」と首をかしげてから冷蔵庫をのぞき、いろいろなソースを隠し味に入れている。

中学に入ってじきに不登校になったという彼は、家族が寝静まってからそっと台所に降りてきて食べ物を探したりしていた時期もあったと聞く。そんなことや、上田学園がここに引っ越してくる時に、中古の業務用キッチン用品の店に何度も通っては、小さな台所にはまるよう、流しやガス台の長さを必死で足し算してキッチンを組み立てたことなどが思い出された。ブイヤベースがおいしかったことは言うまでもない。

さて、今日は3年目の学生が一人、お昼からアルバイトに行く日だった。炊き上がったばかりのアツアツのご飯を彼だけ先に一人食べ終えて、「これだけちゃんと食べると生まれ変われるかなって思いますね。」と言う。「生まれ変わるとはまた大げさな、」という私に、 「身体の中の細胞の種類が変わりそうな気がします。」という言葉を残して彼は出かけていった。

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