言葉のしずく

 

 

学生たちが添乗員実習を兼ねたヨーロッパ旅行から帰ってほどないある午後のこと、私はなにげなく、近くにいた学生にヨーロッパの感想を聞いてみた。

「ねえねえ、どうだったヨーロッパ? どこが一番印象的だった?」

だが、普段から無口な彼は、そう易々と返事はしない。
「うーん、・・・・・パリの・・・・・・・・街並み」
「ふーん、パリの街並みが、で、どうだったの?」
「・・・・・。・・・・・。めっちゃ・・・」そこで彼は下を向き、しばし考えている。「・・・・・」まだ、考えている。そして言った。「・・・・美しかった。」

うわっと思った。・・・・の間に、彼の頭の中を今駆け巡ったであろう初めての遠い旅のたくさんの風景、ひとびと。そして、彼が普段使う言葉と少し違う「美しかった。」という単語だけが、ひとこと口から出てきたこと。

上田学園とかかわっていると、饒舌ではないけれど、有無を言わさぬひとこと、というものに時々出会う。他ならぬその人から発せられたがゆえに、その人の肉になったことを証するような上滑りしない言葉、言葉のしずく、とでもいうようなもの。そんなものに出会うと、思わず自分の身を正したくなる。ふだん、人に会うことやしゃべることを苦にもせずこなしている自分、けれど、私はどれほど本当に自分の中から出てきた言葉をしゃべっているだろうか。

ところで、彼のひとことはそれで終わっていなかった。「・・・・」と、まだ続いていた。私がコピー機のほうに動きかけたその時、ボソボソと続きが聞こえた。「あれじゃあ、・・・日本は、負けるわけだと思った。」

この話には後日談がある。英語の時間にその話題が出た。すると、50代なかばの英国人の先生はすかさず、「そう、そうだろう、美しかっただろう!何でだと思う?」とその寡黙な彼にむかって話し始められた。「あれは、第二次世界大戦中にフランスのお偉方がさっさと亡命なんかしやがったからだ。ドイツに占領されたフランスは空襲を受けず、街並みが残ったんだよ!!ロンドンを見ろ。手ひどい空襲を受けて、パリほどの街並みは残っていないだろうが!!」憤懣やるかたなし、という表情で、普段の学生向けのゆっくりとした口調を忘れたかのような早口の英語で、パリの街並みの話からド・ゴールの話へ、と先生の話は続く。学生たちは呆然と、だが必死でその英語を聞こうとしているように見うけられた。語られていることが、染みこんでいくように思われた。

 

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