透かし

1884年(明治17年)のこと・・・
留学帰りのある東大教授が、大学前の文房具・洋書店の松屋に「イギリスのフールス紙(注)とやら・・・あれはいいよ!ノートにしてみれば?」と持ちかけ、売り出したのがキッカケ。ノートは東大生から大人気!そして、その噂を聞いた神田の本屋・丸善が大量生産し、世に広まっていった。
大学ノートの由来は東大にあったのだ。


注:フールス紙のルーツはイギリスの「フールスキャップ」という紙で、もともと“道化師帽”の透かしが入っていたため、この名称になったと言われている。日本に輸入され始めたのは明治時代。万年筆での書き味が滑らかで、吸取紙を必要としないほどインクの吸収が良く、しかも裏抜けしない筆記適正の良い紙。(出典:株式会社梅原洋紙店)

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